Ten・ten 2026に寄せて―前衛書再考の好機 栗本高行    2026年度で16回目の開催となる「Ten・ten」は、前衛書を中心とした合同展である。出品者が部分的に交替することと連動して、展示テーマもそのつど異なった内容になるという点を重要な特質としている。今回は、「文字:用の美と無用の美」というキャッチフレーズがサブタイトルに掲げられた。筆者に与えられた役割は、本年の展示の性格を紹介することなので、この文言が意図するところを敷衍してみたい。    現今の前衛書の創作において、文字は必ずしも自明の表現要素ではない。それゆえ、展覧会のサブタイトルにおいて文字の概念が強く押し出され、印象付けられているのは、日本の書の世界を瞥見した経験がある者にとっては、奇妙なねじれとも映るだろう。だが、今回の「Ten・ten」の趣旨は、前衛的表現にコミットしている書家たちの制作と文字の知られざる関係にあらためて考察の目を向ける、きわめて意欲的なものである。特別出品される篠原榮太(1927-2023)のグラフィック・デザイン、および現役デザイナーの手になる書的な作品と、狭義の前衛書との対比的展観は、この狙いに沿った革新的な仕掛けだと言える。  毎日書道展に代表される、複数の書のジャンルを内包した公募展の会場を訪れると、前衛書の部門には、筆線だけに拠っていて、文字を作品の題材として省みていない作品が多数発表されている印象をしばしば持つ。しかし、今年の「Ten・ten」では、文字を起点に据えた作品を追求している前衛書家たちも参加するのだと、企画者から聞いている。  一口に前衛書とは言っても、文字という究極的な「用」の造形と、そこから逸脱する「無用」の造形、さらにそれら双方の間に広がる両義的なエリアに産み落とされる表現などが並立しており、作家たちが多様なスタイルを提示し合う光景が想像される。    また、「用」「無用」がともに「美」の問題と結び付けられている点から、筆者は、今回の会場に出現する書が、書き手たちの芸術観を直接映し出したものになっていると予測する。と同時に、表現された対象が文字であれ非文字的なものであれ、それが美術のコミュニティー内でどれだけの有用性を持つのか、という問いかけを発する造形にもなっていることを想像する。言い換えれば、機能の追求と美しさの実現との比例関係を肯定する「用の美」派と、両者は反比例すると訴える「無用の美」派の間で、シーソーゲームのような価値観の競い合いが起きるかもしれないと思うのだ。    このように考えを進めていけば、2026年の「Ten・ten」の企画の射程は従来にないほど長いと言えよう。上記ではもっぱら書家の側の視点に立ったが、デザイナーの側から見れば、いっそう異なった問いが頭をよぎるかもしれない。デザイナーが活用を求める書のありようと、書家が吸収したいと願うデザインには重なり合う領域があるのか。あるいは、どこかで食い違いが発生してしまうのか。それらが、この展覧会をまるごと覆う問題として浮上する可能性は十分にある。そうした意味で、「用」と「無用」の対立に加え、書とデザインの理想的な関係をめぐっても、論争的なトピックがそこかしこに潜んでいる―そんな展示空間の出現に期待してみたい。 2026年1月(美術評論家)