謎としての「前衛書」 栗本高行  「Ten・ten 2024 in横浜赤レンガ倉庫―書・今・旬」は、「前衛書」を中心とした合同展である。副題が端的に示しているように、全国各地で活動する書家と美術家による作品を通して、日本の書的表現の現在形を可視化しようとする意図が込められた企画だ。  「書」一般の展示の場ということであれば、さまざまな団体が運営する社中展や、公設のギャラリースペースを舞台に開催される大型公募展があり、書家がどのような表現を展開しているかが確認できる。一方、「Ten・ten」という枠組みがそれらと異なった視点を提供してきているのは、既存会派への所属の有無を問わず、さらには他の造形芸術の世界観を採用することもいとわない姿勢に立って、「書」の今日的な姿を模索する作家に対し出品を求め続けているからだ。そして、50名に及ぶ今回の展示メンバーの多様な表現を取りまとめる共通分母として意識的に導入された術語こそが、冒頭に記した「前衛書」である。しかしそれは、語られる文脈に依存してそのつど姿を変えてきた捉えようのない概念を含んでいる。  この図録を手に取って下さった来場者に、「前衛書」の美術史的な定義を明示できないのは歯がゆい。だが、1960年代に日本の美術界に出現した一群の新しい絵画・彫刻の傾向を言い表すために「反芸術」という呼称が案出されたり、現在の中国語圏において、伝統と矛盾した書の表現様式を呼び慣わす目的で「非書」という熟語が用いられたりするのと類似したタイプの言説が、国内の書壇にも長らく流通してきたのだと述べれば、理解していただく地ならしができるかもしれない。つまり「前衛書」とは、日本の書が歴史的に蓄積してきた通念を、何らかの方法で切断しようとする書き手たちの表現を暫定的に名付けた語に他ならない。だからこそ、作品の実態は千差万別なのである。  こうした事情を踏まえた上で、筆者が過去に展覧会や書籍で見聞することのできた「前衛書」に関わる記憶と知識を元にして、今回の「Ten・ten」の会場風景をあえて予測してみたい。  まず、「前衛」という形容が近代美術的なニュアンスを帯びていることに鑑み、文字を純然たる〈形〉として扱う態度が見られるはずである。さらに、そうして得られた〈形〉としての文字を、〈線〉にまで解体する操作を遂行する作家のいることが予想される。あるいは、〈線〉を〈点〉に還元したり、純粋な造形の裡に〈線〉と〈点〉を解消し尽くしたりしてしまう、抽象画のような「書」もあるだろう。  次いで、漂白された言語性を復原するために、あらためて〈言葉〉と向き合う作風が見られるかもしれない。しかしその場合、〈言葉〉を取り戻そうとしても、文学的な主題との関係が一旦途絶えてしまうことの影響は大きくなっていくに違いない。だからこそ、シュルレアリスムや宗教者のお筆先のごとくに、既存の言語システムでは説明不能な〈線〉の連なりを「前衛書」の様式として提示する作品が登場することも考えられる。  赤レンガ倉庫に足を踏み入れた方々は、上に並べたような傾向のいずれかに当てはまる作品が集結している、迫力に満ちた場面を目撃するのではないだろうか。願わくは、制作上の実践によって、筆者の想像の中にある展覧会像が鮮やかに覆され、机上の推論には当てはまらない「前衛書」が出現することを強く望む。 2024年1月(美術評論家)